成功と幸福は両立しないのか
昨日妻に「成功と幸福は両立しないから、あなたは成功を捨てて家庭の幸せを取ってほしい」と言われた。 本当に両立しないのか…?と思って眠れなかったので、調べたり考えたりしました。えらい。 以下の記事が参考になりました。 「成功=幸福と考える人」が知らない本当の幸福 幸福と幸福感は違うものだという事実 | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン 成功と幸福とは 成功という言葉の意味について、辞書にはこうある。 1 物事を目的どおりに成し遂げること。「失敗は―の母」「新規事業が―をおさめる」「実験に―する」 2 物事をうまく成し遂げて、社会的地位や名声などを得ること。「写真家として―する」 成功(せいこう)とは? 意味・読み方・使い方をわかりやすく解説 - goo国語辞書 (ここで幸福と対比すべき説明は2のほうですね。) また、幸福は辞書ではこのように記載されている。 満ち足りていること。不平や不満がなく、たのしいこと。また、そのさま。しあわせ。「―を祈る」「―な人生」「―に暮らす」 幸福(こうふく)とは? 意味・読み方・使い方をわかりやすく解説 - goo国語辞書 また、先の記事内では「幸福は貢献感」と言っている。 それでは、どんな時に人は幸福であると感じられるのでしょうか。(…中略…)自分が貢献していると感じられる時です。何らかの仕方で「人の役に立てている」と感じられる時に、人は幸福でいられます。 (…中略…) たとえば、病気になって身体の自由が利かなくなることがあります。病気で身体が自由に動かせなくなった時でも、自分がなお人の役に立てていると感じられるかが問題です。そう感じられるには、何かをしないと役に立てないという考え方から離れなければなりません。 「成功=幸福と考える人」が知らない本当の幸福 幸福と幸福感は違うものだという事実 | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン 定義からこの記事のタイトルを少し修正すると、「社会的地位や名声などを得ることと、貢献感は両立しない」となる。 まぁ確かに一理ある。 社会的な地位は、何もしないでは得られない。 何もできなくなったら、その人の社会的な地位しか見ていない人にとっては所謂「オワコン」認定されてしまう。 一方で、どんなことがあっても「生きているだけでめっけもん」と言ってくれる存在が近くにいると、それだけで幸福を感じることができる。 また、貢献を受け入れてくれる存在は自分自身でもいい。 言い換えれば、自己肯定するということだ。 つまり、成功と認定するのは自己ではなく他者であり、幸福を認定するのは他者ではなく自己なのだ。 「あなたは成功していますか?」という問に対しては、「これだけの人が評価しています!」という実績を見せればすぐに相手は理解してくれるだろう。 「あなたは幸福ですか?」という問の答えは、自分自身の中にしか無いので、答えたところで相手に伝わるかどうかは分からない。 なので、幸福について理解していればそもそもそんなことを聞く気にもならないだろう。 (大体、そんなことを聞いてくるやつはカルトか哲学者を気取ったクソ野郎なので、話す価値もないが) 自分を幸福だと認定する難しさ 「成功はしていないけど自分は幸福だ」と、言葉に出すのは簡単だろう。 ただし実際に、本当の意味で自分が幸福だと思えるかどうかとは別の話だ。 だから、趣味や好きなもので他の人と繋がりをもとうとするのだろう。 「生きていて偉い」と認めてほしいから。 それでもやはり、自分を幸福だと認められるのは自分しかいないので、少しづつでも自分を認める努力が必要だ。 ちなみに、私は以前「寝る前に自分を3つ褒める」という試みを行って自己肯定感を上げていました。 ぐっすり眠れるようになる…自己肯定感が低すぎて生き辛いOLが教える「自分で自分を褒めるコツ」 寝る前に自分を褒めると記憶に残りやすい (2ページ目) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) 成功と幸福は両立しないのか では「成功と幸福は本当に両立しないのか」と言われれば、そんなこともないと思う。 まず前提として、成功と幸福はイコールではない。 ただ、分けて考えられるほど2つに相関性がないというわけでもない。 簡易的に図にしてみるとこうなるんじゃないかなと思う。 幸福は地面、成功は花 (恐ろしく下手なのはご愛嬌) これは、幸福の中に成功があるという仮説を図に表したものだ。 花には水と日光をやらねば育たないが、地面は水だけで潤う。 ...