こんにちは、ナナオです。
皆さん、AIで開発してますか?
私はAIをゴリゴリの開発で使いますが、文章を書く力はいったいどれほどのものなのでしょうか?
今回はAIにポエムを書かせてみて、それぞれどんな特徴が出るか試してみました。
ポエム
プロンプトは以下の通りです。
AIコーディングについて、詩的な表現を交えてポエムを書いてください。
Opus4.8
深夜のペアプログラミング
たとえば午前二時。カーソルだけが呼吸している画面に、わたしはひとりで、ひとりではなく座っている。
「こう書きたい」と口にすれば、まだ形のない意図が、たちまち関数の輪郭をまとって立ち上がる。まるで、考える前に手が動く職人のように。
けれど、それはわたしの手ではない。
差分が流れていく。緑の行、赤の行。足された命と、消された過去。git のログは、ふたりで掘った坑道の記録だ。エージェントは忘れ、リポジトリだけが覚えている。
ときどき、うまくいきすぎて怖くなる。理解が、生まれるコードに追いつけない夜。できあがったものと、わかっていることの間に、気づけば、静かな距離が横たわっている。
だからわたしは、意見を持つのをやめない。「いや、そうじゃない」と言える自分を、手放さない。ループは回してもいい。けれど、舵はまだ、こちらの手のなかにある。
やがて空が白む。テストが緑に灯る、その一行のために、今日もわたしたちは、言葉でコードを、コードで言葉を、交互に編んでいく。
書いているのは誰か。たぶん、その問いに答えないまま、明日もまた、カーソルは呼吸をはじめる。
MiniMax-M3
白紙のファイルが、画面にひろがる。カーソルが点滅する。わたしは待つ。最初の一行が、誰の指で打たれるのかを。
沈黙が落ちる。やがて、画面の向こうから文字が返ってくる。わたしの問いではない問いに、わたしの知らない答えが。
ふたつの指が、一つのファイルを打つ。どちらの指が打っているのか、もう分からなくなっている。コマンドを投げるわたし、補完を返すAI、その境界は砂のように流れる。
夜が更ける。差分の光がモニターに灯る。AIが生成したブロックと、わたしが書いたブロックが、交互に積み重なっていく。どこまでが自分の手なのか。問うても、答は返ってこない。
ビルドが通る。エラーが出ない。その安堵の瞬間だけは、確かにわたしのものである。コンパイラの沈黙が、ふたつの仕事をひとつに合わせてくれる。
コーヒーを淹れるあいだにも、文字は増えていく。わたしのコーヒーを淹れる手と、AIの文字を生む手は、同じ時間の中を別々に生きている。
それでいい。ひとりで書いていた夜より、今は少しだけ長い時間、画面の前にいる。それだけの話だ。
DeepSeek V4 Pro
深夜、画面の光だけが部屋を照らしている。キーボードの音が途切れて、かわりにAIの吐き出す文字が一行、また一行と積もっていく。誰かが隣でささやいているみたいに。
朝には消えている蜃気楼みたいなコードがある。昨夜たしかに動いていた関数が、朝日に透かされてただの文字列に戻っている。AIがくれた答えはいつも、夜のあいだだけ輝く。
誰かの思考の残り香をたどって、自分の指が勝手に動く。打っているのか、打たされているのか。コンパイルが通ったときの安堵は、半分だけ自分のものだ。
白紙のファイルが怖かった。カーソルが点滅するだけの画面を、何分も見つめていた。いまはAIが一行目を差し出すのを待つ。最初は5秒だった待ち時間が、気づけば30秒になっている。この沈黙がいつか1分になり、5分になり、ゆるやかに書けなくなっていくかもしれない。
それでも悪くない。星の数ほどあるリポジトリの、そのまた隅っこで、今日も誰かがAIとふたりでコードを書いている。ひとりで書くより、少しだけ寂しくない。
glm-5.2
キーボードを叩く音と、エンターキーを押したあとの静けさ。その狭間に、いま何が起きているのか。
わたしは問う。画面の向こうで、何かが組み上がる。言葉がコードに変わる瞬間を、わたしは見たことがない。ただ結果だけが返ってくる。翻訳机の向こう側で、誰かが黙々と語学を変換している。
AIの答はいつも、整いすぎている。人間が書いたら絶対に途切れるはずの場所で、文章は途切れない。だからときどき、わざと崩したくなる。AIの書いた完璧な行を消して、自分の不格好な一行で上書きする。そうするとファイルが、少しだけ自分のものになる。
コードは誰のものか。書いた者のでもあり、書かせた者のでもあり、学習された先人たちのでもある。一枚のファイルの中に、いくつの声が重なっているのか。数えようとして、やめる。
深夜、ふと気づくと、AIの提案を受けているだけの自分がいる。同意するだけでコードが伸びていく。楽だ。楽すぎる。この楽さは、自分で書くことをやめた人にだけ訪れる報酬なのか、それとも罠なのか。答は出ないまま、エンターキーを押す。
明け方、ビルドが通る。ふたりで書いた夜が終わる。画面には誰の表情もない。ただ動くコードだけが、そこにあり続ける。
qwen3.7-max
深夜二時。ターミナルに赤い文字が三行。わたしはため息をついて、AIに頼る。
「直して」
返ってきたコードは、わたしの書いたものと似ていて、でも違う。変数の名前に、わたしの癖がない。コメントの位置に、わたしの習慣がない。でも動く。
動くから、受け入れる。
最初は「参考にする」だった。やがて「そのまま使う」になり、いつしか「最初から書かせる」になった。川の流れは、一度海に出たら戻らない。
便利だ。速い。正確なときも多い。
でも、ときどき思う。半年後の自分が、このコードを読めるだろうか。AIが書いた部分と自分が書いた部分の境目が、もう自分にも分からなくなっている。
git logを見る。コミットメッセージはわたしの言葉。でもdiffの中身は、半分がAIの提案。わたしの名前がついたコミットに、わたしの知らないコードが入っている。
これはわたしのコードなのか。
問いが浮かんで、すぐに沈む。答えは要らない。ビルドが通ればいい。
朝がくる。モニターを消す。黒い画面に、わたしの顔が映る。すこし疲れている。すこし満足している。
MiMo V2.5 Pro
画面の光が目を刺す。指が動く。考えが先か、指が先か、もうわからない。
コードは身体を通過する。頭から指へ、指からキーボードへ、キーボードから画面へ。その途中で何かが変わる。思ったものと打たれたものは、いつも少しだけ違う。
AIはその違いを埋める。わたしが曖昧にしたところを、きっちりと整える。まるで、右手に重なったもうひとつの手。
背中が伸びる。目が乾く。コーヒーが冷める。これらの小さな不快が、わたしをコードに結びつける。AIには痛みがない。だから、AIのコードには温度がない。
深夜三時、首が痛い。画面を離れて天井を見る。天井には何も映っていない。でも頭の中にはまだコードが転がっている。AIは眠らない。AIは疲れない。だから、AIのコードには休みがない。
わたしは休む。目を閉じて、キーボードを離す。そのあいだにもAIは続きを書いているのかもしれない。でもそれは知らない。知らないことにする。
朝、ターミナルを開く。昨日の自分とAIが残したコードが、同じファイルに混ざっている。区別がつかない。それでいい。
わたしの身体はこのコードの記憶を知らない。でもこのコードは、わたしの身体を通過した。その事実だけが、静かに残る。
Kimi K2.6
黄昏、部屋が紫に染まる。モニターの光が、わたしの顔に青い影を落とす。
一行書く。三十分かかる。頭の中で考えて、消して、また考えて、ようやく打つ。一時間で五行。それが、わたしの速度だった。
いまは一分で十行。AIが埋めてくれる。埋められた穴は、自分で掘った覚えがない。别人が耕した畑に、自分が種をまいたようなもの。芽が出ても、これが自分の作物かどうか、わからない。
時間は加速した。加速した時間の中で、自分の足跡が薄くなっている。git logを見ても、半年前の自分といまの自分の間に、大きな溝がある。その溝を埋めているのは、誰のコードか。
思い出せない。あの関数を、自分で書いたのか、AIに書かせたのか。思い出せないことが増えていく。記憶の棚は整理されていない。ものはあるけど、置いた覚えがない。
時計の針が回るのを、いまはもう追いつけない。
まとめ
なんでこんなに午前二時が多いの?見えないものを見ようとしてるの?
あとコーヒーも多いな。
面白い点として気づいたのが、git logが結構詩的な表現になりえるということです。これはいい表現ですね。
ただ、意外とポエムとしての出力だけだったら各モデルそこまで差が出ないですね。うーん。。
ということで今回はこれで👍